私の中の小さな子ども / Sasa

私の中の小さな子ども / Sasa

私が夜中の胃辺りの激痛で救急へ駆け込んだのはかれこれ17年前。

レントゲンを撮っても異常はなく看護師さんから手足の痺れを聞かれ
そう言えばと思った時に頷きながらメンタルクリニックの受診を勧められた。

 

友人に勧められたメンタルクリニックへ行き数多くある問診票を全て書き看護師さんに見せると
「もう頑張らなくて良いですよ」と言われて涙が流れた事を覚えている。 薬を処方された。

次の日から気持ちが晴れて体が動きマラソン選手になれるんではないかと思うくらいだった、
が、薬が切れかけた時にこんなに効く薬を飲み続けたらおかしくなるかもと怖さを感じ服薬をやめた。

その時から私がなぜこの状態になったのかを調べ始めた。

行き着いたのが「カサンドラ症候群」だった。

その時は夫が発達障害なのだという所までは行き着かなかった。

当時は経済的に苦しく子ども達を保育園に預け働かざるを得なかった。
仕事以外は何も出来なかった。

特に金曜日の夜から月曜日の朝までは布団の上から起き上がれず時には胃痛に耐えながら
時には夫の声を聞いただけで耳の鼓膜のバタバタと言う振動に苦しんだ。
時には子ども達を抱きしめて消え入りたい気持ちを抑えていた。

そんな私を夫は何も言うことはなく朝から晩まで家事の一切をしてくれていた。
そんな酷い状態が3年ほどで緩やかに波はありながらも回復傾向になった。
嫌なことは嫌と伝えられるようになった。

そんな私の状態を知った友人が遊びに来るように言ってくれたので訪問することにした。
彼女はその前に大病を患っていた。 人工心肺を2度も付け替えて生還した。
その後麻痺が残りながらもリハビリで回復していた。

久しぶりの再会にお喋りは止まらなかったが彼女は

私の心の中にいる「小さな子ども」の話

をしてくれた。

 

その小さな子どもを認めて癒してあげることが今の私から抜け出す唯一の方法だと教えてくれた。
そのやり方が書いてある書籍も教えてくれたので近くの本屋で購入し実際にやってみた。

小さな時に辛かったり苦しかったりした小さな子どもの自分に語りかける
辛かったね、苦しかったね、頑張ったね、ありがとうと。

 

日々続けて行く中で癒されていく自分と向き合うことが出来るようになっていた。
嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと、嫌なこと。
そんな風にして自分の心の守り方を知っていくことができたように思う。

治ったと言うよりは そんな状態にならない方法を知ったのだと思う。
これで万事解決ではなかった。 自分を取り戻した私は夫との生活に悩み始めた。
そしてこの直後に長男の不登校と発達障害と言う悩みにも直面したのだ。

この事はまた改めて書きたいと思う

 

自己紹介

SaSa
不登校から発達障害がわかった長男を調べていたら家族全員が凸凹あった事がわかったSaSaです。
ASD(未診断)夫と離婚寸前になっても今はラブラブの経過と兄妹の不登校からの経過をつらつらと書いていきたいと思います。
両親のダブル介護、脳脊髄液減少症(奇跡の完治)経験者です