こんにちは、きゆみです。
嫌われる勇気を付けようと無理をしてる人を見かけます。
私も昔は必死に鞭打ってたタイプです。
しかし、今安心して生活してみてやっと分かったことがあります。
嫌われる勇気は安心した後からやってくる。
安心というのは、愛情であったり生活環境であったりさまざまですが、
目の前の人に嫌われても「なんとかなるわ〜」と思えないうちは、嫌われる勇気は付かないのではと思っています。
好かれる勇気
嫌われる勇気の前に必要なのは好かれる事だと思ってます。
誰だって人と関わり人に好かれないので、その気持ちを否定して居たらどんどん辛くなります。
好かれたいと思って当たり前だし、嫌われて傷つくのは当たり前。
しかし、好かれるには?
好かれたくても好かれない理由がわからない。
そのような場合は好かれたい気持ちが強すぎて制御できてるのか気にしてください。
押し付けすぎてないか、引きすぎてないか。
発達さんあるあるで話しすぎてしまって自己嫌悪する人が居ますが、聞く力と話す力をトレーニングするのをオススメします。他の方が書いたコラムなども参考にしてください。
引きすぎてないかというのは、遠慮しすぎて意思疎通ができない状態です。
中には少し気まずい雰囲気になっただけで縁を切る方もいらっしゃるのですが、そこまで気にしてたら人間関係の構築は難しいでしょう。
その場合は自分軸を傷つけられる事が恐怖なのかな?と思いますので
自分を作るに関連するコラムをおすすめします。
鍛えたとしても全員に好かれるのは無理でしょう。
私も何人かの人に避けられていますし、それがとても悲しいです。
私が原因だなと分かってるものから分からないもの、相手の都合だなと思うものまで。
でも、「旦那には愛されてるし友達も居るし、なんとかなるっしょー」って思ってます。
誰も居なかったら相当落ち込んでますよ。
灯台下暗し
そもそも、本当に一人ですか?
あなたを本当に大事にしてる人居ませんか?
大事にしてくれる人というのは役割を果たしてる人ではありませんよ。
その場合もあるのですが、交流が無くても想ってくれてる人とか、密かなファンとか。
そんな頻繁に会えないけど会えば楽しく話せる相手とか。
その人たちの存在も把握してみてください。
昔から仲の良い友達1人だとか。
粗末にしてないですか?
たまにいらっしゃるのですが「友達いない」と愚痴るお友達。私は?と思ってしまいます。そういう方とはだいたい縁が切れるのですが相手から突然連絡が途絶えます。
何かあったのでは?私が嫌なこと言ったのか?と何年経っても心配をしています。
元気なら良いのですが…。
身近な人の存在は大事ですよ。
味方の見分け方というコラムを書く予定なので、気になったらそちらへ(R2.10時点ではまだ 書いたらリンク貼ります)
なんで嫌われる勇気がほしいのか
嫌われるのが怖いのを消したいからですよね
なのに、嫌われる勇気をつけようとどんどん色んな縁を切りまくって「全員に嫌われてれば嫌われない」という極論になっています。
それよりも人との付き合い方をトライアンドエラーを繰り返して上手くなっていく方が簡単で健康的ですよ。