発達って障害なの?それとも個性なの? / みや

発達って障害なの?それとも個性なの? / みや

発達って障害なの?それとも個性なの?

 

初めまして、今回コラムを書かせて頂く事になりました。みやと申します。

よく聞くこの話題。
皆さんはタイトルを読んでどのように感じましたか?

 

「友人、恋人が出来ない」
「片付けが苦手でゴミ屋敷になってしまう」
「忘れ物をしたり、ミスばっかりしてしまう」
「他人の気持ちが良く分からずコミュニケーションが苦手」

そういう方は発達障害を「障害」と感じる方が多いようです。

 

他方

「アイデアがポンポン湧いてくる」
「音楽的、芸術的センスがある」
「物怖じしない行動力がある」
「一つの事をコツコツとやり抜く」

そういう風にポジティブに捉える方は発達障害を「個性」と捉える方が多いと思います。

 

僕はどちらかの考えが間違っているとは決して思っていません。
いずれの考えもその人が考える素直な気持ちで正解だと思います。

「障害」と捉える人は「個性」と捉える人を嫌悪し、
逆に「個性」と捉える人は「障害」と捉える人にもどかしさを感じる人が多いみたいです。

どちらの考えでもいいですが、一方の考えだけを肯定し他方が違うと押し付けるのが
一番ダメな思考だと僕は思います。
いろんな考え方を柔軟に認める多様性があった方が良いと思いませんか?

当事者の僕は以前、白黒思考で「こうすべき」と他者にもそれを押し付けていました。
それを認めない他者を嫌悪していました。

今、僕は多様な考えを認める事が出来るようになりとても生きやすくなりました。
それでは「みやさんは発達障害をどう捉えるの?」と言われると
僕はこう答えています。

「発達障害は特性である」と。

 

特性という言葉にはプラスやマイナスの評価が入っていません。
特性なのでポジティブに捉える事も出来るし、勿論ネガティブに捉える事も。

ここでよく比喩で使われるのは物事を平面的ではなく立体的に捉えるといいと。
円錐を横から見ると三角、真上から見ると丸。

1つの方向からだけ見て決めつけていませんか?
俯瞰して見ると新しい気づきが生まれるかもしれませんよ。
自分の考えに固執する事なく他者の考えも柔軟に聞いてみませんか?

発達障害はよく発達凸凹とも言われます。

凸(ポジティブ)と凹(ネガティブ)
その凸凹は場面によって、環境によって、時代によって変わります。

遥か昔、人間がマンモスを食糧としていた時には、その危険を顧みない特性はポジティブに働いた事でしょう。
その好奇心溢れる革新的な考えは時代を変える原動力になってきたのかもしれません。
時代の変化によってポジティブにもネガティブにも捉え方が変わります。

人類が誕生して以来、発達障害の特性は淘汰されずにDNAを繋いできました。
遺伝子の事は僕は専門家ではないのでよくわかりませんが、
生き残る理由があるからこそ淘汰されずに現代にも存在し生き続けているのだと思います。

振り返って今の時代はwithコロナ、既存の価値観がガラッと変わる予感を僕はひしひしと感じています。

不謹慎と怒られるかもしれませんがワクワクしています。
リスクを恐れない僕らが輝ける時代が近づいているのではないかと!

自分の特性をフラットに今一度見つめてみませんか?
僕は発達障害の特性を今は全く卑下していません。
「今は」と書いたのは、以前は全く受容出来ず卑下していたからです。

僕は今、ネガティブな自分の特性もそれを卑下する事なく認めています。
「自己受容」しているからこそ対策を立てる事が出来ます。

「自己受容」って何?と思う方もいらっしゃるかと思いますが、それはまた別の機会にコラムにしたいと思います。

皆さんは発達障害をどう捉えますか?
ご拝読ありがとうございました。

自己紹介

みや

43年間友達ZERO、自己肯定感ZEROだった僕は2年前にパワハラを受け鬱、発達障害(ADHD,ASD)の診断を受け障害者手帳を取得し、180度人生が好転しました。
今はとても幸せです。この2年で学んだ事、僕が変われたように、当事者に生き方を変えるきっかけを与えるような記事を書きたいと思います。

営業職17年、妻、二人の娘。
異才ネットワークIROIRO大人の発達当事者会主宰。FP1級技能士。
傾聴ボランティアも行っています。
詳しくはツイッターで

https://twitter.com/gallo38