こんにちは、きゆみです。
洗濯物って取り込んだあと畳んでますか?
私は放り投げてます。
洗濯物は畳むもんだと教えられてた頃もありますが、面倒くさくて、アイロンもかけずに着ています。
収納のため以外に畳む目的を私は見いだせないのです。
当たり前が潜む毎日
洗濯物に限らず、当たり前と呼ばれるルールは山ほどあります。
それらは必ず守らねば私達は死にますか?
中には法律みたいなものもありますけれど、それは省いて生活習慣の中に作られた当たり前がありますね。
従う事が苦痛で困難な場合ありますが、それでも皆「当たり前だから」と無理を続けます。
守らなかったらどうなるのか
守らなかったらどうなりますか?
人に軽蔑されるとか?だらしなく見えるとか?
他に私は浮かびません。
軽蔑される、だらしなく見えるなら、それでいいと思っています。
私は躁鬱病でそもそもお風呂にすらまともに入れませんから、今更感があります。
私が健康体だとして、他人にそのように見られたところで損することって無いように思えます。
嫌うなら嫌えばいいし…みたいな。
ついでに、旦那の服も放り投げています。
畳みたかったら本人が畳んでいるので、それでいいと思っています。
しかし、これは押し付けてはいけません。
相手が畳むから放り投げているけれど、放り投げても良いよと言う同意の上でやっているので、「自分でたたむもんだ」という当たり前ルールを作り出して相手を苦しめないようにしてくださいね。
逆に相手から「畳んでよ」と言われて嫌なら断れば良いです。
それで相手が畳めないで山にしてても「畳まないよ」という約束をした結果なので放置で良いです。
当たり前を作り出さない
自分が当たり前に苦しんでいるのに作り出してしまって相手を苦しめたくはないですよね。
そのためには相手と話し合って落としどころを見つける必要があると思います。
これ、発達の人だけでなくカサンドラの人も苦手なのではないでしょうか?
カサンドラの人は「私は話し合いたいのに聞いてくれない!意思疎通ができない!」と嘆いていると思います。
しかし、発達の人はそう思われれば思われるほど素直に話さなくなるような気がしてます。
発達さんはパートナーなんだから意見を落ち着いて伝えることは必要なことだと考え、相手が話し合う姿勢を見せたらカサンドラさんは怒りを落ち着かせて会話をしてください。
ヒートアップしたら一旦お開き、落ち着いたら日を改めて、とマイペースに。
一度作ってしまった当たり前は何度壊しても大丈夫です。
決めたことを変える勇気も持ってくださいね。
二人がちゃんと話し合えていれば第三者が怒鳴って入ってくることはありませんから。
私の感覚で話すと、作り出してしまっても気づいたら訂正したらいいや~と軽い気持ちで居るので、あまり肩に力は入れなくていいです。
私みたいに「話し合えばいいじゃーん」と簡単に思える発達さんは少ないと思っています。
多分、私がグレーゾーンかつ過去の経験からそのように思えるようになったのでしょう。
幼い頃は怒鳴る母に対して「どうせ分かってもらえない」と相手を睨むだけでしたから・・・。
当たり前との付き合い方
当たり前って「~べき」て言われますよね。
りあんに居る方々はとても苦しめられたであろう、べき論。
正直、べき論は不滅です。滅ぶことは無いでしょう。
「どうやって避けたらいいの」を思うかもですが、避けるだけが付き合い方ではありません。
柔軟に、避けたいときは避け、使いたいときは使い、やりすぎたと思ったら訂正や謝罪をしていけば良いと思います。
いくら嫌いで生きづらくしてくるべき論であっても、正しい場合もありますから、全否定していると覆ったときに苦しむことになります。
決め切らなくても生きていけるもんです。
まとめ
決め切らなくても良いのですが、それが不安な発達さんは多いのではないでしょうか。
完璧主義になってしまう原因ではないかと思います。
その話は別の機会で。
それでは、また。